「当たり前の生活」を守るためのTPP反対

総合生協生産者協議会総会に先立って、新潟大学農学部伊藤亮司氏の講演「食と農をつなぐ産直とTPP問題」が行われました。論旨は以下の通り。

野党時代の自民党は、TPPに関して6項目の「聖域」(PDF)を設け、野田首相(当時)のTPP参加に反対をしていましたが、安倍首相が訪米した2013年2月以降、この6項目が消えました。これは内容が明らかにされていない日米首脳会談において、その聖域を守るのは無理と分かったからではないか。「聖域」から消えた項目の中で、最も注目すべきはISD条項(=提訴権・こちらを参照)で、訴訟大国アメリカはFTA、NAFTAでは一度も敗訴していない。これは外国の社会習慣を攻撃して、その国から賠償金をせしめるビジネスモデルを成立させてしまう。まっさきに狙われるのは、保険業に対して優遇されている共済であり、食品の産地表示や遺伝子組み換えの表示である。

TPP参加によってさして輸出が増えるわけではないことは次第に明らかになってきたが、それでも産業界にとってTPPは良いことづくし。産業界にとっての問題は、日本国内では人口が増えず、高齢化が進んでモノが売れない、労働力が高価であること。言ってみればもはや日本を捨てたい。締結国の間をフラットにしてゆくTPP(日本で作らなくても、日本で売らなくても良い)は、日本を捨てるのと同じだからだ。では、私たち労働者は、捨てられていいのか。

TPP推進派は、食に関して言えばそのメリットを「輸入食品が増えて安いモノが食べられますよ」と言う。人は本当に安いモノが食べたいのだろうか。それを当たり前の前提としていること自体が、TPP推進派の弱点だ。TPPに参加して、日本の食品は一部は守られるだろうが、それは一部の富裕な人たちの口にしか入らない超高級品になり、あとは安い輸入品を食べなさいということになる可能性が高い。そうではなくて「高すぎない、無理がない、でも本物」の食を守ってゆくことが、生産者、消費者互いとって意味のある協働ではないか。消費者の心に響く取り組みを続けてほしい。

TPPは、サイエンスではなく文化の問題。風土の中で長年培ってきた文化のもとで生きることは、基本的人権だ。どんなルールであっても、それを無視したルールの中で生きてゆくことはできない。ひとりひとりが、TPP後の社会をどれだけリアルに思い浮かべることができるか。それが重要だ。

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